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東京高等裁判所 平成4年(ネ)4490号 判決 1995年6月29日

控訴人 株式会社 飯高

右代表者代表取締役 飯高正子

右訴訟代理人弁護士 皆川眞寛

同 山崎康雄

控訴人補助参加人 小林由典

右訴訟代理人弁護士 細田英明

控訴人補助参加人 エヌイーディー株式会社

右代表者代表取締役 中島省吾

右訴訟代理人弁護士 畠山保雄

同 中野明安

同 石橋博

同 川俣尚高

被控訴人 合資会社 東洋キネマ

右代表者無限責任社員 飯山一夫

右訴訟代理人弁護士 伊藤昌釭

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の、補助参加人の参加費用は各補助参加人の、各負担とする。

事実

第一、申立

一、控訴人

1. 原判決を取り消す。

2. 被控訴人の請求を棄却する。

3. 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二、被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二、当事者の主張

一、被控訴人の請求原因

1. 被控訴人は原判決添付第一、第二物件目録記載の各不動産(以下、右各不動産を一括して「本件不動産」ともいう。)を所有していた。

2. 原判決添付第一物件目録記載の土地とその地上建物(以下、右土地建物を「神保町の土地・建物」という。地上建物はその後取り壊された。右建物を「神保町の建物」という。)につき、昭和六二年七月一日売買予約を原因として、小林由典(以下「由典」という。)を権利者とする東京法務局同月三〇日受付第三七五〇号所有権移転請求権仮登記(以下「甲仮登記」という。)がなされ、次いで昭和六三年七月二六日売買を原因として、同年八月一日受付第五四七号をもって控訴人を権利者とする甲仮登記にかかる所有権移転請求権移転の付記登記がなされ、更に同年九月一日売買を原因として、平成四年三月一六日受付第一一二一号をもって、控訴人を取得者とする甲仮登記に基づく所有権移転登記(以下「甲本登記」という。神保町の建物は訴訟物となっていないので、甲仮登記、甲本登記は神保町の土地のみを指すものとする。)がなされた。

3. 原判決添付第二物件目録記載の不動産(以下「新宿の土地・建物」という。)につき、昭和六二年七月一日売買予約を原因として、由典を権利者とする東京法務局新宿出張所同月三一日受付第三六四五六号所有権移転請求権仮登記(以下「乙仮登記」という。)がなされ、次いで昭和六三年七月二六日売買を原因として、同年八月一日受付第二九五三四号をもって控訴人を権利者とする乙仮登記にかかる所有権移転請求権移転の付記登記がなされ、更に同年九月一日売買を原因として、平成四年三月一七日受付第七五六一号をもって、控訴人を取得者とする乙仮登記に基づく所有権移転登記(以下「乙本登記」という。)がなされた。

よって、被控訴人は控訴人に対し、所有権に基づき、甲本登記及び乙本登記の抹消登記手続を求める。

二、控訴人の本案前の抗弁

被控訴人の本件訴えは飯山一夫(以下「飯山」という。)が被控訴人の代表者(無限責任社員)として提起したものであるが、被控訴人には他の無限責任社員として小林(以下「トミ」という。)がいる。合資会社の業務執行は無限責任社員の過半数で決定すべきであるが(商法一五一条二項)、トミは本件訴えの提起に反対しており、本件訴えはトミの同意を経ずにされたものであるから不適法である。

三、本案前の抗弁に対する被控訴人の認否及び反論

被控訴人に無限責任社員として飯山の外にトミがいることは認めるが、その余は争う。訴えの提起については商法一五一条二項の適用はなく、無限責任社員は訴訟上一切の行為をなしうる。のみならず、飯山はトミから業務執行権限を一任されている。仮に一任されていないとしても、本件のような財産回復のための訴えは、トミの同意を経ずに提起することができる。

四、請求原因に対する控訴人の認否

請求原因事実はすべて認める。

五、抗弁

1. 被控訴人の無限責任社員トミは由典との間で、昭和六二年七月一日、本件不動産を含む不動産を代金総額三〇億円で売り渡す旨の売買の予約をした。

2. 由典は控訴人との間で、昭和六三年七月二六日、本件不動産を含む不動産を代金総額三〇億円で売り渡す旨の売買の予約をした。

3. 昭和六三年九月一日、由典は被控訴人の無限責任社員トミに対し、また、控訴人は由典に対し、いずれも各売買予約完結の意思表示をし、控訴人は由典に対し売買代金内金二〇億円を支払って本件不動産の所有権を取得した。これにより、被控訴人は本件不動産の所有権を喪失した。

4. 本件不動産について、被控訴人の無限責任社員トミと控訴人との間で、昭和六三年一〇月二七日、本件不動産につき被控訴人が登記義務者、控訴人が登記権利者となって、甲、乙仮登記に基づく本登記をする旨の起訴前の和解が成立した(以下「本件和解」という。)から、その既判力により被控訴人の本訴請求は棄却されるべきである。

六、抗弁に対する認否

1. 抗弁1の事実は否認する。

2. 同2、3の各事実は知らない。

3. 同4の主張は争う。

七、再抗弁

1. (トミの無能力)被控訴人の無限責任社員トミは由典との売買予約締結時あるいは由典から予約完結権の行使を受けた当時、痴呆症により意思能力を欠いていたから、被控訴人・由典間の売買契約は効力を生じない。

2. (被控訴人・由典間の売買予約の無効) 合資会社の業務執行は複数の無限責任社員がいる場合には、その過半数で決定しなければならない(商法一五一条二項)ところ、被控訴人の無限責任社員はトミと飯山の二名であるから、トミが被控訴人を代表し由典との間で本件不動産の売買予約を締結するには飯山の同意が必要である。しかし、トミは飯山の同意を得ておらず、しかも、右予約の相手方である由典は、被控訴人の業務執行について飯山の同意が必要であるにもかかわらず、トミが飯山の同意を得ていないことを知っていた(知らなかったとしても重大な過失がある。)から、被控訴人は由典に対し右予約の無効を主張できる(商法一四七条・七八条、民法五四条)。

3. (本件和解の無効) 右のように被控訴人・由典の売買予約は無効であり、控訴人は本件不動産の所有権を取得し得ないから、本件和解の前提となる合意が無効である以上、本件和解も無効である。また、本件和解の和解条項についても、トミは飯山の同意を得ておらず、しかも、本件和解の相手方である控訴人は、右について飯山の同意が必要であるにもかかわらず、トミが飯山の同意を得ていないことを知っていたから、被控訴人は控訴人に対し本件和解の無効を主張できる。

八、再抗弁に対する控訴人の認否及び反論

1. 再抗弁1の事実は否認する。

2. 同2の事実中、トミと飯山が被控訴人の無限責任社員であることは認めるが、その余の事実は否認する。飯山はトミに対し業務執行権限を包括的に一任していたか、若しくはこれを放棄していたから、トミは単独で業務執行をする権限を有していた。したがって、被控訴人の業務執行につき商法一五一条二項は適用されない。仮に、被控訴人・由典間の売買予約について右条項が適用されるとしても、由典は被控訴人の業務執行については飯山の同意は不要と信じ、また、そう信じたことについて過失はない。

3. 同3の主張は争う。前記のとおり、被控訴人の業務執行につき商法一五一条二項が適用される余地はない。仮に、被控訴人・控訴人間の本件和解について右条項が適用されるとしても、控訴人は被控訴人の業務執行については飯山の同意は不要と信じ、また、そう信じたことについて過失はない。

九、再々抗弁

1. (民法九四条二項類推適用の主張。再抗弁2に対する主張)仮に、被控訴人・由典間の売買予約が商法一五一条二項の適用を受け、かつ、由典の悪意又は過失により右売買が無効となっても、控訴人は、甲、乙仮登記や本件不動産の売買予約契約書が存在する事実から、由典がした本件不動産の売買予約は有効で、処分権限を有していると信じていたから、民法九四条二項の類推適用により本件不動産の所有権を取得し、被控訴人は本件不動産の所有権を失う。

即ち、控訴人は由典との間で本件不動産につき売買の予約をする際、トミ、由典及び被控訴人の顧問弁護士細田英明から、飯山はもともと被控訴人の無限責任社員ではなく、業務執行の決定に参加していないし、トミの指示に逆らえる立場にはなく、相当以前から事務的作業にさえ携わっていないので、本件不動産の処分につき飯山の意思を考慮する必要はない旨の説明を受け、被控訴人の沿革、過去の経緯、トミ、由典親子と飯山との関係から右説明を十分信用できるものと確信し、被控訴人と由典の売買予約を有効と信じ、由典との売買予約をしたのである。

2. (権利濫用ないし信義則違反)飯山は被控訴人のオーナーであった亡小林兵庫(以下「兵庫」という。)の執事であったが、兵庫死亡後、わずかな出資により昭和五四年当時七億円の資産を有する被控訴人の無限責任社員となった者であって、兵庫の妻トミの意思に反して独断で被控訴人所有の本件不動産を第三者に売却したこともあり、また、飯山を代表者とする被控訴人の本訴請求により被控訴人が勝訴すると、飯山が本件不動産を自由に処分できる立場となり、著しく正義に反する結果となる。したがって、被控訴人の本訴請求は権利の濫用あるいは信義則違反というべきである。

一〇、再々抗弁に対する認否

否認する。

第三、証拠〈省略〉

理由

一、本案前の抗弁について

合資会社の業務執行は、複数の無限責任社員があるときはその過半数で決定しなければならないと規定されている(商法一五一条二項)ところ、被控訴人には無限責任社員として飯山のほかトミが就任していることは当事者間に争いがなく、また、本訴提起について飯山がトミの同意を得ていないことは弁論の全趣旨から明らかである。そして、被控訴人に共同代表の定めのあることについては主張・立証がないから、飯山は、無限責任社員として、被控訴人を代表し被控訴人の営業に関する一切の裁判上又は裁判外の行為をすることができる(商法一四七条、七六条、七八条)。したがって、飯山は被控訴人の代表者として本訴の提起、その他訴訟行為を遂行できることは当然である。商法一五一条二項の規定は、業務執行に関する内部的意思決定に関する規定であるから、同項を履践しないからといって内部的意思決定を欠くに止まり、訴訟行為を無効ならしめるものではない。けだし、同項の規定により訴訟行為の効力が左右されることは、訴訟行為を不確定ならしめて法的安定性を害し相当でないからである。したがって、控訴人の右主張は採用することができない。そうすると、飯山が無限責任社員として本件不動産につき提起した本件訴えは適法というべきである。

二、請求原因事実はすべて当事者間に争いがなく〈証拠〉によれば、抗弁事実のうち1、2の事実、同3の事実のうち被控訴人が本件不動産の所有権を失ったことを除くその余の事実、及び本件和解が成立した事実を認めることができる。

三、再抗弁1(トミの意思無能力)について

〈証拠〉によれば、トミは、昭和六二年一二月一五日都立荏原病院において、医師杉山弘行の診察を受けたが、その際、同医師は、トミに右受診以前から老人性痴呆の症状があり、同年夏ころから、右症状が進行していると診断していること、同日のカルテには、五、六年前から財布を忘れたりし、一年半位前から息子が分からないなどと訴えていたことが記載されていること、トミは昭和六三年三月五日以降脳血管障害の診断名で入院していることが認められる。そして、乙第五号証の一二七によれば、医師大友英一は、昭和六二年七月一日時点において、トミは、既に自己所有の不動産を損をすることなく売却することができる程度の判断力があったとは考えられない旨の意見を述べていることが認められる。

しかしながら、杉山医師は昭和六二年一二月の診断の際、未だ入院治療の必要性は認めておらず、昭和六三年三月五日にトミを入院させた際も、単に脳血管障害を診断名としたのみで、トミの痴呆の程度は明らかでないとしている。また、乙第五号証の七二によれば、平成元年三月からトミを診察している都立荏原病院の医師猪野屋博は、平成二年二月一〇日付けの診断書において、「現時点では、トミの判断力の低下等は著名であるが、平成元年六月三〇日の時点では、日常会話や書字が可能な程度の判断力を有していた。」旨の診断をしていることが認められ、また、トミの昭和六三年一月一五日の警察官に対する供述調書である乙第五号証の九三の内容は詳細なもので、トミの判断力の欠如を窺わせる点は存在しない。そして、前記大友医師の判断は、杉山医師の尋問調書とカルテの記載によるもので、同医師や猪野屋博の判断以上に重きを置くことはできない。してみると、昭和六二年七月一日の被控訴人・由典間の売買予約当時においても、また、昭和六三年九月一日の予約完結権行使時においてもトミに意思能力がなかったと認めることはできない。

四、再抗弁2(被控訴人・由典間の売買予約の無効)、再々抗弁1(民法九四条二項類推適用)について

〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1. 被控訴人は、昭和三年六月二八日、亡兵庫により映画興業、劇場賃貸などを目的とする会社として設立されたが、兵庫が死亡した昭和四九年六月二五日当時、神保町と新宿の土地・建物のほか静岡県熱海市に不動産を所有していた。兵庫は個人資産として、家族名義のものを含めると、新宿区百人町、文京区本郷四丁目、神田駿河台、神奈川県茅ヶ崎市などに不動産を所有していた。被控訴人は神保町の土地・建物では「東洋キネマ」の名称で映画館を経営していたが、映画が下火となったため、昭和四六年に劇場経営をやめ、劇場を改装して貸し事務所とし、以後は主として不動産の賃貸による収入により営業を続けてきた。また、新宿の土地・建物では旅館業を営み、熱海の不動産は保養所として利用してきた。兵庫は、被控訴人の外に、昭和二五年には火災保険代理店などを営む東亜興業株式会社を設立し、また、区議会議員などの公職にも就いてきた。

2. 兵庫は先妻に先立たれたため、昭和三〇年にトミと再婚し、また、先妻との間の子がいずれも死亡したため、昭和三三年ころ、愛人であった訴外中山年子の子である由典を戸籍上兵庫とトミとの子として届け出、以後由典をトミとの間の実子として養育してきた。飯山は損害保険会社に勤務していた昭和二五年ころ兵庫と知り合い、東亜興業に入社して同社の仕事をするとともに、被控訴人の仕事も手伝い、兵庫の片腕として働いてきた。そして、兵庫の勧めにより兵庫の姪である環と婚姻した。

兵庫は昭和四九年六月二五日死亡した。当時の被控訴人の無限責任社員は兵庫一人で、トミと由典が有限責任社員であった。兵庫死亡に伴いトミが無限責任社員となった。また、東亜興業の代表者には飯山が就任したが、飯山は兵庫亡き後は東亜興業のほか被控訴人の業務を一手に引き受けるのみならず、トミ、由典の個人資産の管理まで担当するようになった。

3. 昭和五四年一月、由典の実母である中山年子が由典に会いたいと申し入れてきたが、トミは中山年子の背後にいる人物の素性などから同女が由典を介して被控訴人の資産を自由にすることを恐れ、兵庫の甥で、これまで被控訴人や兵庫の相談にのってきた平井博也弁護士や飯山と相談し、飯山にも被控訴人の無限責任社員に就任してもらい、中山年子の介入から被控訴人の資産を守ることを決め、昭和五四年四月、飯山は被控訴人の無限責任社員に就任した。また、そのころ飯山の妻であった環も有限責任社員に就任した。当時、トミは飯山夫婦を全面的に信用しており、昭和五六年四月二一日には平井弁護士の関与のもと、トミの被控訴人の持分全部を環に遺贈する旨の公正証書遺言さえしていた。

4. 由典は飯山が被控訴人の無限責任社員に就任したころは大学を卒業したばかりで、被控訴人の管理、経営には関心がなく、一切をトミに委ねていたが、その後、被控訴人の運営に関心を持つようになった。昭和五六年暮れころ、飯山が被控訴人の無限責任社員となっていることやトミと由典の共有となっていた神奈川県茅ヶ崎市内の不動産につき昭和五四年と昭和五五年に環を権利者とする地上権が設定されていることを知り、飯山の排除を考えるようになった。昭和五七年ころから由典はトミとともに、飯山に対し、無断で無限責任社員就任の登記をしたとして被控訴人の無限責任社員からの退任を求めるとともに前記地上権設定登記の抹消を求め、また、昭和五七年一月には、トミが前年公正証書によってした被控訴人のトミの持分を全部環に遺贈する旨の遺言を取り消し、トミの持分のすべてを由典に遺贈する旨の遺言公正証書が作成された。由典とトミは、昭和五八年一月ころから、トミの親戚である細田英明弁護士に飯山との紛争の解決を依頼し、細田弁護士はトミらの代理人として飯山に対し、無限責任社員の退任、地上権設定登記の抹消を求めた。右の要求に対し、飯山は昭和五八年六月二一日、兵庫没後一〇年になる昭和五九年六月まで猶予を求める旨の手紙を出した。由典及びトミは昭和五九年二月三日、細田弁護士を代理人として、飯山に対しては被控訴人の無限責任社員、環に対しては有限責任社員の地位のないことの確認と、また、環に対し茅ヶ崎市内の前記不動産の地上権設定登記の抹消を求める家事調停の申立をした。しかし、不調になったため、由典及びトミは、昭和六一年五月九日、東京地方裁判所に環を被告として地上権設定登記の抹消を求める訴えを提起するとともに飯山を被告として昭和四九年、五〇年ころに貸したとする合計約五六〇万円の貸金の支払いを求める訴えを提起した。更に、トミは、同年一一月、トミ所有の建物を賃借していた東亜興業を被告として、賃料不払いを理由とする建物明け渡しの訴えを、同年一二月には、被控訴人の代表者として飯山を被告とする無限責任社員でないことの確認を求める訴えを提起した。こうした由典、トミらの動きに対し、飯山は昭和六一年六月、同人らに対し、被控訴人から環に対し、月額五〇万円の給与を支給することと旅館の名義を飯山ないし環に移すことを条件として、無限責任社員の退任、地上権設定登記の抹消に応じるなどの和解案を提出したが、話し合いはまとまらなかった。

5. ところで、昭和六〇年ころから神田神保町界隈はいわゆる地上げ屋が横行するようになり、被控訴人所有の神保町の土地も地上げの標的となった。昭和六一年七月ころには無限責任社員飯山を除名した旨の被控訴人代表者トミ名義の証明書や被控訴人が神保町の土地に隣接して借地している部分を譲渡するという同名義の証明文書が偽造されて回されたり、昭和六二年七月には被控訴人とは全く関係の無い草野信之なる人物が被控訴人の無限責任社員として登記されるなどのことがあった。一方、飯山はこのころ資金に窮し、東亜興業が保険代理店として集めた保険料約七〇〇万円を保険会社に納付せず、昭和六一年六月保険会社から代理店契約を解除されたり、同年七月トミに無断で自己のための金員を借り受け、神保町の土地・建物などに抵当権を付けるなどした。

そこで、由典は飯山が被控訴人名義の不動産を処分することを恐れ、細田弁護士と相談のうえ、昭和六二年七月一日、トミとの間で、被控訴人名義の一切の不動産である本件不動産、神保町の建物、熱海布の不動産を被控訴人から三〇億円で買い受ける旨の売買の予約をし、同月三〇日、右各不動産につき売買予約の仮登記をした。

6. 昭和六三年の初めころから控訴人は本件不動産の買い受けを強く希望し、由典に働きかけた。控訴人側は皆川眞寛弁護士が、また、由典側は細田弁護士が交渉に当たった。右売買交渉に当たり、皆川弁護士は細田弁護士から、飯山に対する無限責任社員でないことの確認請求訴訟の内容、経過について詳細に事情聴取をした。右訴訟の飯山の代理人は柴田徹男弁護士であり、昭和六二年七月ころから和解手続きに入り、昭和六三年六月上旬には、被控訴人が飯山に一億三〇〇〇万円の支払いをし、飯山が退任することで合意に達しかけたが、飯山は代理人である柴田弁護士を解任し、新たに、伊藤昌釭弁護士を委任し、和解案を拒絶した。そして、飯山は被控訴人の代表者として本件不動産を伊藤弁護士関与のもとに株式会社柳川経営研究所に代金四〇億円で売り渡したとし、甲不動産については、東京法務局昭和六三年六月二三日受付第二三六一号をもって権利者を株式会社柳川経営研究所とする所有権移転仮登記、同月三〇日受付第三二一四号をもって右仮登記による本登記、更に、同年七月七日受付第七三五号をもって株式会社ジン・オフィスカンパニーを取得者とする所有権移転登記手続が経由され、乙不動産についても、同法務局新宿出張所昭和六三年七月一五日受付第二七二六〇号、第二七二六〇一号をもって同様にジン・オフィスカンパニーを取得者とする所有権移転登記手続が経由された。

7. 由典は控訴人との間で、同年七月二六日、本件不動産、神保町の建物及び新宿区百人町所在の由典名義の不動産を代金合計三〇億円で売却する旨の売買の予約をした。その際、由典は控訴人から預かり金名目で控訴人振出の額面二〇億円の約束手形を受領し、同年八月一日、甲・乙各仮登記にかかる各所有権移転請求権移転の付記登記手続をした。控訴人は、右代金の一部を清算する意図のもと、由典に対し、港区麻布台の土地を代金一五億五〇〇〇万円で売り渡し、右代金一五億五〇〇〇万円と右手形債務のうち同額を相殺し、同月八日、残額のうち一億円は現金で、また、三億五〇〇〇万円は預金小切手で支払われた。同月三〇日、麻布台の土地については由典、トミ持分各二分の一の割合による所有権移転登記手続がされた。しかし、右不動産については右所有権移転の登記がされた当日の同月三〇日、代物弁済予約を原因として控訴人に対する所有権移転仮登記がされている。

昭和六三年九月一日には本件不動産について被控訴人・由典間、由典・控訴人間の各売買予約完結の意思表示がされたが、代金三〇億円の残金一〇億円については支払いが留保されている。

8. 由典と控訴人の売買予約は、由典の側は細田弁護士、控訴人の側は皆川眞寛弁護士が交渉に当たり細田弁護士は由典の保証人となっている。

なお、控訴人は、昭和六三年八月一一日、被控訴人(無限責任社員トミ)を相手方とし、本件不動産につき、甲、乙仮登記の本登記手続を求める起訴前の和解の申立を行い、同年一〇月二七日本件和解を成立させている。また、飯山が被控訴人の無限責任社員であることは、平成六年一二月八日の最高裁判決(甲第二七号証)において確定した。

ところで、合資会社において無限責任社員が数名あるときは、会社の業務執行はその過半数により決定しなければならない(商法一五一条二項)から、無限責任社員は、右決定に従い、合資会社を代表して業務執行に関する法律行為をすることを要する(商法一四七条、七六条)。しかし、一方無限責任社員は、合資会社の業務に関し一切の裁判上又は裁判外の行為をする権限を有する(商法一四七条、七八条)点にかんがみると、無限責任社員が右決定を経ないで取引行為をした場合でも、右取引行為は内部的意思決定を欠くに止まり、原則として有効であるが、ただ、相手方が右決定を経ていないことを知っていたときは、商法一四七条、七八条、民法五四条により、又は民法九三条の類推適用により無効である、と解するのが相当である(大審院大正一五年六月一九日判決・民集一九巻一〇二三頁、最高裁第三小法廷昭和四〇年九月二二日判決・民集一九巻六号一六五六頁参照)。

前認定の事実によれば、兵庫死亡後、実質的に被控訴人の業務を執行し、かつ、昭和五四年四月に被控訴人の無限責任社員に就任した飯山に対し、昭和五六年暮れころからトミ及び由典がその地位を否定する行動に出て、被控訴人の無限責任社員からの退任を強く求め、昭和五九年には家事調停を、昭和五九年一二月には無限責任社員でないことの確認を求める訴えを提起し、飯山も条件次第によっては無限責任社員からの退任を了解する姿勢であったことが認められる。しかし、飯山とトミ、由典との間の話し合いがつかないまま、被控訴人の無限責任社員トミと由典との間で本件不動産の売買予約がされ、更に、由典と控訴人との売買予約に至ったことは明らかであり、右の事情のもとで飯山が業務執行権をトミに一任していたとか業務執行権を放棄したと認めることは到底できない。したがって、トミと由典との間の本件不動産の売買予約は無限責任社員である飯山の同意のない業務執行であることは明白である。そして、兵庫とトミとの間の子として養育されてきた由典が、従前から兵庫につかえ、被控訴人のみならず兵庫らの資産の管理に携わるなど当初はトミの信頼の厚かった飯山が無限責任社員として登記されていることを知らなかったとか、その登記が無効の登記であると信じていたとは考え難く、むしろ、被控訴人・由典間の売買予約は、飯山が無限責任社員であることを前提として、飯山による処分を防ぐことをも目的としてなされたものとみるのが相当である。そうとすれば、由典は飯山が無限責任社員であること、本件不動産の処分については飯山の同意を要することを知っていたとみるべきであり、商法一四七条・七八条、民法五四条により、又は民法九三条の類推適用により、トミの行為は無効であり、被控訴人は右売買予約の無効を由典に主張できるというべきである。

次に、控訴人についてみるに、控訴人と由典との本件不動産の売買予約の締結前に本件不動産につき柳川経営研究所に所有権移転請求権仮登記がされていたこと、控訴人と由典との契約は皆川弁護士と細田弁護士が深く関与し、皆川弁護士は細田弁護士から飯山とトミ、由典との紛争について説明を聞いていること、控訴人・由典間の売買に関して控訴人から由典に所有権移転がされた麻布台の不動産について、由典に対する所有権移転登記手続がされるのと同時に、由典に債務不履行がある場合をおもんばかり代物弁済予約を原因とする控訴人に対する所有権移転請求権仮登記を付けさせているほか、細田弁護士に由典に債務不履行があった場合の損害賠償について連帯保証をさせたり、本件和解の申立てをするなど通常の売買取引では行わないような異例な手続を踏んでいることからすると、控訴人は、被控訴人と由典との間の売買予約は、無限責任社員飯山が関与していない点において被控訴人(飯山)からその効力を否定されるおそれのあることを十分承知し、したがって、由典が債務を履行できない場合を予期してあらかじめ防御策を講じていたことが明らかである。そうすると、控訴人は、由典との本件不動産の売買予約及び予約完結権行使の時点において、由典が本件不動産の所有権を取得しえないことを知っていたとみるべきで、右の点について善意であったとは到底認めることはできない。控訴人につき民法九四条二項の類推適用を認めることは相当でない。したがって、控訴人は、本件不動産の所有権を取得し得ないものといわなければならない。

五、1. 控訴人は、被控訴人の本訴請求は本件和解の既判力に抵触すると主張する。

起訴前の和解も私法上の行為と訴訟行為の双方の性質を含むと解されるところ、右にみたように本件和解の私法上の合意の部分は、被控訴人が控訴人に対し本件不動産の所有権移転請求権仮登記に基づく所有権移転本登記手続の履行を約するものである。そして、控訴人は右合意の前提として、本件不動産につき、被控訴人と由典間の売買、由典と控訴人間の売買が成立し、控訴人が仮登記の移転を受けたと主張するところ、前記のとおり被控訴人と由典間の売買は無効であり、したがって、控訴人は由典から本件不動産の所有権を取得することができず、被控訴人は控訴人に対し、本件不動産の所有権移転登記手続を履行すべき債務を負担していないことが明らかである。しかも控訴人は、本件和解の和解条項自体についても、被控訴人の無限責任社員飯山が同意していないことを知っていたのであるから、本件和解は、いずれの点からみても、商法一四七条・七八条、民法五四条により、又は民法九三条の類推適用により無効というべきである。そうすると、起訴前の和解に既判力を肯定する立場を前提としても、本件和解が無効と解される以上、既判力抵触の問題は生じないから、控訴人の右主張は採用できない。

2. 控訴人は、被控訴人の本件請求により被控訴人が勝訴すると、飯山が本件不動産を自由に処分できる立場となるから、著しく正義に反する結果となり、本訴請求は権利の濫用あるいは信義則に違反すると主張する。

しかしながら、たとえ被控訴人が勝訴しても、飯山が本件不動産を自由に処分できる立場となるものではなく、無限責任社員トミと共同で被控訴人の業務を遂行すべき責務を有すべきことは当然である。その他前認定の事実に照らせば、本訴請求が権利の濫用あるいは信義則に違反するといえないことは明らかである。

六、以上によれば、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用、参加費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 時岡泰 裁判官 小野剛 山本博)

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